佐澤薬師堂
ご本尊は「薬師瑠璃光如来」です。他に日光菩薩、月光菩薩、十二神将が祀られています。
もともとのお堂は、三津間集落外れの山すそにあり、村人たちに大切にされていましたが、戦国時代、天正2年(西暦1574年)甲斐の武田軍による襲撃、焼打ちに遭い、本尊、お堂ともに焼してしまいました。
お堂
その後しばらくの間再興されずにいましたが、ある晩、久野脇村の有力者、室田三郎左衛門さんの夢枕に薬師如来が立たれて「どうかもう一度私を祀ってほしい、できれば水辺に」と言われました。そこで三郎左衛門さんはあちらこちらを探して回り、現在地よりさらに山深い「萩ノ沢」と呼ばれる所に村人の協力を得て再興しました。(薬師如来の台座には、慶長9年(1604年)3月8日入仏の記載がある)
300年ほどにわたり祀られていましたが、あまりにも山深くお参りにも不便なため大正12年現在の場所に移設、建造され現在に至っています。
毎年の例祭の様子
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60年に一度の大祭の様子
例祭は、毎年1月7日夜から8日にかけて盛大に行われます。7日夜にはたき火を囲んでひよんどりが行われ、大勢の善男善女が参拝に訪れます。さらに、庚子の年、すなわち、60年ごとに大祭が執り行われ、いつもはお堂に納められている薬師如来を、お堂の外に出しての渡御が行われます。近年では令和2年がその年に当たり、大八車に乗せられた薬師如来像が地域内を渡御し、各家を回りました。地域住民はもとより、地域外からも大勢の来訪者があり盛大にお祭りが行なわれました。
良縁を結ぶ
縁結びに大変ご利益があり、お願いをすれば必ず良縁を授けてくれるといわれ、人知れず参拝に訪れる人が後を絶ちません。少し前までは、眼病を患った人が病気平癒を願い目の粗い籠を奉納する風習もあったようです。
境内の片隅には、「子持ち石」が祀られ、子宝祈願に訪れる人が大勢います。
この石もおもしろいいわれがあります。昔、山仕事をしていた若い衆が薬師堂上の山中で見つけ、とても珍しい石だということで、薬師の境内へ飾ろうということになり、大勢の若者が参加して運びました。その途中で休憩をしましたが何人かの若い衆がこの石に腰かけて休みました。その後、若い衆はそれぞれに所帯を持ちましたが、石に腰かけた若者はどうしたわけか、たくさんの子宝に恵まれたという言い伝えがあります。それ以来「子持ち石」または「子授け石」と呼ばれ信仰されています。こちらもまたお願いをすれば、必ず「子宝に恵まれる」といわれ、遠方からも大勢の参拝者が訪れるパワースポットです。